中井英夫「虚無への供物」感想
著者
刊行
1964年
あらすじ
氷沼家を舞台に次々と起こる密室殺人、そして4人の探偵役による推理合戦が幕を開ける
登場人物
奈々村久生
光田亜利夫
牟礼田俊夫
藤木田誠
氷沼蒼司
氷沼紅司
氷沼藍司
氷沼橙二郎
鴻巣玄次
感想
「推理小説の墓碑銘」とまで言われ絶賛されていたのは伊達ではありませんでした。繰り返される密室殺人を前にし、繰り広げられる4人の探偵役による推理合戦は、"誕生石"・"不動尊"そして"薔薇"、様々なキーワードが交差し読み応えがあり、最後の結末は"反推理小説(アンチミステリー)"と呼ばれるにふさわしいものでした。
戦後復興の時代を彷彿させる描写が多いものの、その世界観に十分引き込まれます。推理小説といえば犯人やトリックの意外性がメインとなることが多いですが、この本は犯人の"動機"が1番の見どころだと思います。そして、その"動機"を通して見る現代の社会は今ままでと少し変わっているかもしれません。
この中井英夫『虚無への供物』と小栗虫太郎『黒死館殺人事件』夢野久作『ドグラ・マグラ』の3冊を合わせて"三大奇書"称されます。(竹本健治『匣の中の失楽』を加えて"四大奇書"と呼ぶ場合もあるそう)中でも『ドグラ・マグラ』は1年ほど前から読んでるのですが、読んでいるとどうも気分が悪くなるので、まだ上巻の半分くらいまでしか読めていません…
メモ
推理小説を書く際のルール『ノックスの十戒』と『ヴァン・ダインの二十則』
『ノックスの十戒』:ロナルド・ノックスが1928年に“The Best of Detective Stories of the Year 1928”(邦題『探偵小説十戒』)で発表した、推理小説を書く際のルール
1.犯人は物語の当初に登場していなければならない
2.探偵方法に超自然能力を用いてはならない
3.犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
4.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5.中国人を登場させてはならない (この「中国人」とは、言語や文化が余りにも違う外国人、という意味である)
6.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9.“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
10.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
『ヴァン・ダインの二十則』:推理小説家S・S・ヴァン=ダインが1928年に『世界短編傑作集』の序文で示した、推理小説を書く上での20の規則
1.事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
2.作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
3.不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
4.探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
5.論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
6.探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
7.長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
8.占いとか心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
9.探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
10.犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
11.端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
12.いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
13.冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
14.殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
15.事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
16.よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌は省くべきである。
17.プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
18.事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
19.犯罪の動機は個人的なものがよい。国際的な陰謀とか政治的な動機はスパイ小説に属する。20.自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。
・犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法
・インチキな降霊術で犯人を脅して自供させる
・指紋の偽造トリック
・替え玉によるアリバイ工作
・番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる
・双子の替え玉トリック
・皮下注射や即死する毒薬の使用
・警官が踏み込んだ後での密室殺人
・言葉の連想テストで犯人を指摘すること
・土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く方法
しかし、ルールを定めたノックスやヴァン・ダイン自らもこのルールを守っていたとは言い難いようです。これらのルールをあえて破った作品も多く、推理小説を読むときは、これらのルールと照らし合わせながら読んでみると面白いかもしれません。